2016年2月 奄美 [日記的なもの]
奄美から戻って1週間。
不思議な三日間やったな。2月の奄美。
帰ってきてから振り返りながら、不思議なんだけれども、奄美で起きると不思議ではない気がする。
近しいひとたちは言葉にできない日々やろうし、
歌を唄う人たちは、歌の中でやっと言葉にできていたり、
のりをさんを通じて知り合ったあたしは、そんな中に少しだけ身を置かせてもらっていて。
でも、書くのなら最初から全部書いたほうがいいと思うので、長くなるのだけれども、6年前から。
*********
初めて彼女に会ったのは2010年5月30日の日曜日。場所は東心斎橋のカフェドルフィン。
この日はイノウエサワコ人生初のライブ企画でギターパンダに来てもらった日。
その日彼女は満面の笑みで、
自分はギターパンダの大ファンで、奄美に住んでいて、偶然大阪に来ていたので観に来た、と話してくれて。
ドルフィンには道路に溢れるほどに人が集まり、店内の椅子を全部外に出すことにしたんだけれども
『いえーーい!!オールスタンディング♪オールスタンディング♪』と歌いながら椅子を運び出してくれた。
その時はその彼女が奄美で長年ギターパンダを支え続けてきた加茂川みちよさんとは知らんかった。
2011年9月11日。
初回『お舟でパンダ』打ち上げの席で、当時関西圏にはギターパンダ固定ファンが6~10人ほどいていつの間にか京都パンダ会って名前がついていて。
そのメンバーにのりをさんが『みんなで奄美に来ませんか?』と話を出したのでした。
あれよあれよと話は進み、2011年11月26日奄美空港に降り立つパンダ会6名。
みちよさんと1年半ぶりの再会。ぱっすんぱっすんタバコふかしてたなあ。
ライブの準備だけでもそうとうなものなのに(もう規模がすごい)私たちの受け入れ一切合財もしてくれていてほんっとにお世話になった三日間。
この旅行の中で、二日目の夜にワケあってあたしだけ名瀬に戻りみちよさんと朝まで話しこんでて、その時おった金城さんがこないだ古仁屋での金城さんだと大阪に戻ってから知る。びっくり!すみません。
次にみちよさんに会ったのが2013年の2月10日。
大阪でギターパンダと良元優作の初ブッキングをしたんだけれど、その時難波屋におって打ち上げに来てくれた。この日は色々落ち込んでてんけど、みちよさんの顔みたら落ち込んでたのとかどっかに行ってもた。
そして去年の夏。
2015年7月の終わり。再び名瀬で。訪ねてみたらば偶然みちよさんのお誕生日の日やった☆
いろんな話をして、最近のりをさんどんな歌うたってるの?って聞かれて、
出来たばかりの《できなかった》歌の話をしたら『あはははは、あたしみたいだ』と笑う。
大阪に戻ってすぐにマダムギターパンダのライブがあったのでDVDにして送る。
そんな彼女が9月に旅立って。
2月の12日に彼女を知る仲間がASIVIでライブをするという。
即、飛行機を手配して、宿も手配して。
************
2016年2月12日に三度目の奄美へ。
この時、偶然みちよさんのお姉さんがみちよさんの家の片付けに来ていて、私やのりをさんが到着する日の夕方に東京に発つとのこと。大阪から直行便の私は11時半ごろに着くので、一緒にお昼しましょうと誘っていただき、レンタカーでみちよさんの家へ。
家には寄ろうと思っていたけれども、まさかもう一度中に入れるとは思っていなかったので、すごくうれしい。
到着と出発のすれ違いの中で偶然居合わせた数時間に感謝。
二時間ほどごはん食べながらのんびり過ごして、のりをさんのピックアップに向かう。
リハまでまだ少しあったし、お姉さんの出発の時間までもまだ少しあるので再びみちよさんの家へ。
お姉さん弟さん、のりをさんを昔から知ってるみちよさんの友だちとおしゃべりしたり、いろいろ頂いたり、暖かい雨の降る手花部でゆっくり過ごす。雨どいのない屋根から雨がざあざあと落ちてやっぱり南国やなあ。
移動の時間が近づいてきたので『そろそろ行きますか』と部屋を出て玄関に向かう途中、そういえばこの部屋入ったことなかった、と思い、写真を撮らせてもらいにミシン部屋へ。
木で出来た作業台があって、ここにミシンがあったのよーって話を聞きながら、写真を撮っていると、のりをさんが大きなプラケースの中に何かを見つけて、『これは?』と出してみる。(まさにその見つけた瞬間の写真を撮っていました☆)
それはみちよさんがずっと使っていたギターパンダライブの受付の缶箱だった。
中を開けると昔のチケットやドリンンク券が入ってる。行ったときのんもある!
そしてさらにプラケースの中に布を見つけるのりをさん。
見覚えのある、ステージの後ろに張っていたパンダ布が何枚も何枚も出てきて、
最後には一番初めに作ったという泥染めのギターパンダ旗が出てきた。
お姉さんが、使ってくださいと言ってくれて、その夜のASIVI中に張りました。
ステージ真ん中にはどれがいいですか?と聞くと『茶色の』と即答するのりをさん。
みちよさん、のりをさんを待ってたんかな?見つけてくれるのを。ここよーーっ!!て。呼んだんやろね^^
YANIGAWA ROCK'N'ROLL SHOW は
♪きっと彼女もきている 今夜ASIVIのどこかに ヤニガワロックンロールショー カモガワロックンロールショ~~
とはじまり、追悼なんだけれどもおもいっきりやってやるぜ!!と盛り上がりまくりのすばらしいライブの数々。
最後にギターパンダが登場。《うたをうたおう》がとても沁みた、なんだろ?ゆっくりとひとことづつがとてもきれいやった。そして、《人間のからだ》は奄美ギターパンダでお届けでした。
ライブの間ずっと、のりをさんの後ろでうれしそうに微笑んでいるフラッグの中のパンダを眺めてた。
そしてASIVIでのライブが終わり、人生の花を歌い終えたのりをさんは、出演者の紹介をして、会場に深く挨拶をして、最後に、ステージのうしろを振り返り、泥染めのギターパンダフラッグに頭を下げたのを、あたしは見逃さなかった。
次の日は古仁屋ダラクロンで大いに盛り上がり、いつもはアンコール曲の《人生の花》が先に歌われて、
最後は《ちょっとだけさよなら》やった。 ちょっとだけ、サヨナラ。
出発の2月14日。
朝から金城さんのところでレコーディング。4曲収録。おもしろかった!!
飛行機の時間ぎりぎりになってて、無理かなーーと思ったんだけれども藤井さんの家の跡にも寄ってくれて、ありがとうございました。『藤井さんの家へ向かいます』と左にハンドルを切ったときは、喉がハトのように鳴りました。
最後にもういちど、みちよさんの家へ。そして空港へ。
出発時刻に余裕で間に合いのんびりしてたらば、飛行機到着が遅れてて、結局乗るはずの飛行機から次の便に変更になり、
ひま。
メールしたりFACEBOOK見たりもしつくしたので、本を読んだり、横ではポコパンしてたり。
ひま。
みちよさんの受付缶箱を預かっていたので、なんとなく中身の整理をする。
チケットとドリンク券と、はがきサイズのチラシ?
裏返すと、そこに自分の名前を見つける。一瞬意味がわからない。
じーーーーーっと見る。
井上佐和子様、と書いていある。インクが飛んでいるんだけれども、靭本町の住所も書いていある、
びっくりしてポコパンしてるのりをさんに叫ぶ。
箱の底から、切手をはったまま出されずにあった、あたし宛の、4年前のハガキが出てきた。
びっくりしすぎて読めなくて、のりをさんに読んでもらう。
2011年に奄美に行った後に送ったいろいろのことのお礼とかHOUちゃんの話とか。
『届いてよかったねーー』とのりをさん。最後にいいオチがつきましたな、と。
不思議なことが、いろいろ起きた、そんな奄美の時間でした。
みちよさんはこれからものりをさんを支えていってくれるやろう。
きっとますますステキな歌を作らせてくれる。
不思議な三日間やったな。2月の奄美。
帰ってきてから振り返りながら、不思議なんだけれども、奄美で起きると不思議ではない気がする。
近しいひとたちは言葉にできない日々やろうし、
歌を唄う人たちは、歌の中でやっと言葉にできていたり、
のりをさんを通じて知り合ったあたしは、そんな中に少しだけ身を置かせてもらっていて。
でも、書くのなら最初から全部書いたほうがいいと思うので、長くなるのだけれども、6年前から。
*********
初めて彼女に会ったのは2010年5月30日の日曜日。場所は東心斎橋のカフェドルフィン。
この日はイノウエサワコ人生初のライブ企画でギターパンダに来てもらった日。
その日彼女は満面の笑みで、
自分はギターパンダの大ファンで、奄美に住んでいて、偶然大阪に来ていたので観に来た、と話してくれて。
ドルフィンには道路に溢れるほどに人が集まり、店内の椅子を全部外に出すことにしたんだけれども
『いえーーい!!オールスタンディング♪オールスタンディング♪』と歌いながら椅子を運び出してくれた。
その時はその彼女が奄美で長年ギターパンダを支え続けてきた加茂川みちよさんとは知らんかった。
2011年9月11日。
初回『お舟でパンダ』打ち上げの席で、当時関西圏にはギターパンダ固定ファンが6~10人ほどいていつの間にか京都パンダ会って名前がついていて。
そのメンバーにのりをさんが『みんなで奄美に来ませんか?』と話を出したのでした。
あれよあれよと話は進み、2011年11月26日奄美空港に降り立つパンダ会6名。
みちよさんと1年半ぶりの再会。ぱっすんぱっすんタバコふかしてたなあ。
ライブの準備だけでもそうとうなものなのに(もう規模がすごい)私たちの受け入れ一切合財もしてくれていてほんっとにお世話になった三日間。
この旅行の中で、二日目の夜にワケあってあたしだけ名瀬に戻りみちよさんと朝まで話しこんでて、その時おった金城さんがこないだ古仁屋での金城さんだと大阪に戻ってから知る。びっくり!すみません。
次にみちよさんに会ったのが2013年の2月10日。
大阪でギターパンダと良元優作の初ブッキングをしたんだけれど、その時難波屋におって打ち上げに来てくれた。この日は色々落ち込んでてんけど、みちよさんの顔みたら落ち込んでたのとかどっかに行ってもた。
そして去年の夏。
2015年7月の終わり。再び名瀬で。訪ねてみたらば偶然みちよさんのお誕生日の日やった☆
いろんな話をして、最近のりをさんどんな歌うたってるの?って聞かれて、
出来たばかりの《できなかった》歌の話をしたら『あはははは、あたしみたいだ』と笑う。
大阪に戻ってすぐにマダムギターパンダのライブがあったのでDVDにして送る。
そんな彼女が9月に旅立って。
2月の12日に彼女を知る仲間がASIVIでライブをするという。
即、飛行機を手配して、宿も手配して。
************
2016年2月12日に三度目の奄美へ。
この時、偶然みちよさんのお姉さんがみちよさんの家の片付けに来ていて、私やのりをさんが到着する日の夕方に東京に発つとのこと。大阪から直行便の私は11時半ごろに着くので、一緒にお昼しましょうと誘っていただき、レンタカーでみちよさんの家へ。
家には寄ろうと思っていたけれども、まさかもう一度中に入れるとは思っていなかったので、すごくうれしい。
到着と出発のすれ違いの中で偶然居合わせた数時間に感謝。
二時間ほどごはん食べながらのんびり過ごして、のりをさんのピックアップに向かう。
リハまでまだ少しあったし、お姉さんの出発の時間までもまだ少しあるので再びみちよさんの家へ。
お姉さん弟さん、のりをさんを昔から知ってるみちよさんの友だちとおしゃべりしたり、いろいろ頂いたり、暖かい雨の降る手花部でゆっくり過ごす。雨どいのない屋根から雨がざあざあと落ちてやっぱり南国やなあ。
移動の時間が近づいてきたので『そろそろ行きますか』と部屋を出て玄関に向かう途中、そういえばこの部屋入ったことなかった、と思い、写真を撮らせてもらいにミシン部屋へ。
木で出来た作業台があって、ここにミシンがあったのよーって話を聞きながら、写真を撮っていると、のりをさんが大きなプラケースの中に何かを見つけて、『これは?』と出してみる。(まさにその見つけた瞬間の写真を撮っていました☆)
それはみちよさんがずっと使っていたギターパンダライブの受付の缶箱だった。
中を開けると昔のチケットやドリンンク券が入ってる。行ったときのんもある!
そしてさらにプラケースの中に布を見つけるのりをさん。
見覚えのある、ステージの後ろに張っていたパンダ布が何枚も何枚も出てきて、
最後には一番初めに作ったという泥染めのギターパンダ旗が出てきた。
お姉さんが、使ってくださいと言ってくれて、その夜のASIVI中に張りました。
ステージ真ん中にはどれがいいですか?と聞くと『茶色の』と即答するのりをさん。
みちよさん、のりをさんを待ってたんかな?見つけてくれるのを。ここよーーっ!!て。呼んだんやろね^^
YANIGAWA ROCK'N'ROLL SHOW は
♪きっと彼女もきている 今夜ASIVIのどこかに ヤニガワロックンロールショー カモガワロックンロールショ~~
とはじまり、追悼なんだけれどもおもいっきりやってやるぜ!!と盛り上がりまくりのすばらしいライブの数々。
最後にギターパンダが登場。《うたをうたおう》がとても沁みた、なんだろ?ゆっくりとひとことづつがとてもきれいやった。そして、《人間のからだ》は奄美ギターパンダでお届けでした。
ライブの間ずっと、のりをさんの後ろでうれしそうに微笑んでいるフラッグの中のパンダを眺めてた。
そしてASIVIでのライブが終わり、人生の花を歌い終えたのりをさんは、出演者の紹介をして、会場に深く挨拶をして、最後に、ステージのうしろを振り返り、泥染めのギターパンダフラッグに頭を下げたのを、あたしは見逃さなかった。
次の日は古仁屋ダラクロンで大いに盛り上がり、いつもはアンコール曲の《人生の花》が先に歌われて、
最後は《ちょっとだけさよなら》やった。 ちょっとだけ、サヨナラ。
出発の2月14日。
朝から金城さんのところでレコーディング。4曲収録。おもしろかった!!
飛行機の時間ぎりぎりになってて、無理かなーーと思ったんだけれども藤井さんの家の跡にも寄ってくれて、ありがとうございました。『藤井さんの家へ向かいます』と左にハンドルを切ったときは、喉がハトのように鳴りました。
最後にもういちど、みちよさんの家へ。そして空港へ。
出発時刻に余裕で間に合いのんびりしてたらば、飛行機到着が遅れてて、結局乗るはずの飛行機から次の便に変更になり、
ひま。
メールしたりFACEBOOK見たりもしつくしたので、本を読んだり、横ではポコパンしてたり。
ひま。
みちよさんの受付缶箱を預かっていたので、なんとなく中身の整理をする。
チケットとドリンク券と、はがきサイズのチラシ?
裏返すと、そこに自分の名前を見つける。一瞬意味がわからない。
じーーーーーっと見る。
井上佐和子様、と書いていある。インクが飛んでいるんだけれども、靭本町の住所も書いていある、
びっくりしてポコパンしてるのりをさんに叫ぶ。
箱の底から、切手をはったまま出されずにあった、あたし宛の、4年前のハガキが出てきた。
びっくりしすぎて読めなくて、のりをさんに読んでもらう。
2011年に奄美に行った後に送ったいろいろのことのお礼とかHOUちゃんの話とか。
『届いてよかったねーー』とのりをさん。最後にいいオチがつきましたな、と。
不思議なことが、いろいろ起きた、そんな奄美の時間でした。
みちよさんはこれからものりをさんを支えていってくれるやろう。
きっとますますステキな歌を作らせてくれる。
そのような話がある奄美だったんですね。
朝一に拝見し涙して。通勤中地下鉄で開いて、再び涙。
素敵なお話し、ありがとうございます。
あの雨は、みちよサンの『嬉し涙』だったのかも?と思いました。
「奄美」の『音』を目にしたり耳にしたときは、この話を思い出すでしょう。
by arata (2016-02-20 07:50)
だれも大きな声では言わないけれども、みんなのなかにそれぞれの想いがながれていて、ずっと胸がつまりながら眺めていました。
いっしょに観れて良かった^^
by mills (2016-02-20 11:52)
ホント、とても不思議で、でもそうなんだなぁ…という出来事ですね。
パンダ布を見つけるタイミング、手紙に気が付いたタイミング。
みちよさんが、のりをさんとサワコさんに教えてくれてた。
by びる (2016-02-20 13:46)
パンダライブの時も、ありとあらゆる手の込んだことをしていて、
びっくりを畳み掛けてくる、みちよさんらしいなあ、と。^^
by mills (2016-02-20 13:52)
ありがとうございました。
涙ぼろぼろです。
妹の歩いた道が知れました。
そんなにがんばっていた路世を
何にも知ってあげて,応援できなかったな…とか
いろんな後悔の思いがこみ上げてきました。
佐和子さん
ありがとう。
by ik (2016-02-20 17:25)
いちよさん
文字にしておきたいと思いながら、なかなかうまく書けず
でも自分の身内が亡くなった時も、少し遠いひとからの文字で
そこのろを知れたとことかあって、書いておきました。
ほんとにあたしが知っている時間はほんの少しなのだけれども、
たくさんのことを教えてもらって、ほんとにすてきな女性です。
去年の夏に、いちよさんとも会えてよかったです。
いちよさんから届く毎日のメールで、夏の間ずっと奄美にいてるようでした。
by mills (2016-02-20 17:50)
サワコさんへ
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貼らせてもらっていいですか?
by ik (2016-02-21 00:22)
いちよさん
はい。よかったら載せてください。
by mills (2016-02-21 00:58)
サワコさん
ありがとうございます。
by ik (2016-02-21 05:52)